2020-03-31 第201回国会 衆議院 農林水産委員会 第10号
その後、大正十二年、広島県に移管され、広島県種畜場七塚原分場として発足、その後、幾多の変遷を経て、今日の県立畜産試験場となりました。 この創建時の本館は、幸いにもほぼ完全な形で保全されて、今日まで畜産資料館として活用されております。
その後、大正十二年、広島県に移管され、広島県種畜場七塚原分場として発足、その後、幾多の変遷を経て、今日の県立畜産試験場となりました。 この創建時の本館は、幸いにもほぼ完全な形で保全されて、今日まで畜産資料館として活用されております。
私もなかなか勉強不足でございますが、先ほど申し上げましたとおり、一応畜産試験場、種畜場を含めまして十五年間牛と一緒に生活をいたしましたので、そういうところでの一つの感想的なものとして申し上げますならば、やはり草食動物でございます。また、草食動物でございまして、草を食べて、それを胃の中で反すうし、それで胃の中のバクテリア、微生物ができまして、それがたんぱく質に変わって肉になり乳になる。
それから続いて、昔種畜場があったが、馬がどうもうまくいかなくなったのでしょうか、ゴルフ場に変わってしまった。このゴルフ場に変わってしまった方への流出というものが非常に今後懸念されるわけです。北側に行かないで南側に流出してくるという傾向が、今後もし起こり得るとすればその傾向が強くなってくるのだろうと思うのです。
話は別になりますが、福島の畜産試験場、昔は種畜場と言っておって、急速に力を入れていただいた経過がございます。既にバイテクを利用して受精卵移植等も成功いたしておりますし、地方におけるそういうそれぞれの成功事例等もあります。
それから、種苗園であるとか種鶏場、種畜場、こういうのは労働基準監督署。動物園、植物園は人事委員会。こういうように地方公務員の中で、いわゆる監督監査していく、査察していく機関が、法のたてまえからいきますと分かれてきておるわけです。
それから種苗園、種鶏場、種畜場、こういうところは監督署の所管になっている。ところが動物園、植物園、これは人事委員会の所管になっている。こういういわゆる国の縦割り行政の弊害じゃないかと思うんだけれども、もっと言うと、種苗園とか種鶏場から見ると動物園の方がもっと危険度が高いと思うんだがね、これは人事委員会になっている。こういうことに対して一体どういうふうに所管省として考えておりますか。
○工藤良平君 ですから、福岡の種畜場と科学技術庁がまとめた、こっちからとったものがこちらの結論になったときになぜそういう断定的なものが出てくるのかということ。私がわかるように答弁をしてくださいよ、科学的に。あなたのところは科学技術庁でしょう。科学的にちゃんと説明しなさいよ。
○工藤良平君 それでは、この調査の調査書の中で福岡県種畜場の調査と科学技術庁の調査の中に違いがありますが、この点についてはどう考えておられるわけですか。
それじゃ、福岡の種畜場はどう言っているか、ちょっと言ってください、どう書いてあるか。
特に最近、これは文化庁にも来ておると思いますけれども、県の種畜場であったところに遺跡群がいっぱいあったわけであります。一つの山は縦貫道路の土取りのためにとってしまった。その後残っております遺跡のあたりに体育館をつくりたい。
それから種畜場のございます三沢遺跡につきましては、遺跡を残して遊歩道建設を行うよう県の万に指導いたしております。以上でございます。
たとえば、搾乳牛の場合に、福岡畜産試験場——種畜場ですね、これの資料、さらに先ほどの報告のありました資源調査所の資料によりましても、搾乳牛の搾乳の状態というものは必ずしもよくない。与えることによって低下をしている。体重は若干ふえたようでありますけれども、搾乳については相当減少している。
先生御指摘のとおり、この調査所の資料では、福岡県の当時の種畜場、現在の畜産試験場でございますが、そのデータも公表されたものを載せてございます。
お尋ねの種畜場の件につきましては、御指摘のとおり県有地でございまして、幸い手がつけられておりませんので、これは県自体におきましても保存をするという方向で、どういう保存のしかたをし、環境整備をするかというところを、ただいま県当局におきましても検討中でございます。それが出てまいりましたらまた協議をいたしたい、かように考えております。
それから小郡市の市長をはじめ、この遺跡を保存する市民運動が起こっておりますが、県の種畜場のあとは県有地でございますから、おそらく保存されると思うのですが、この種畜場のあと、一山はすでに縦貫道路の土石用に山をとってしまっておる。残っておるところはおそらく保存されるのだと思いますが、その県有地であります種畜場あとの保存の方向、それが質問の第一点。
もう一つは、この去年の精液というのは、大体どこの種畜場から出たのか。あるいは種つけする場合の衛生の問題とかそういう問題もやはりあるのじゃないかと思うのですけれども、これについてはどこの種牛から出たのが去年の種つけに発生地域で使われたのか、そういうことをもう少し具体的に明らかにしていただきたい。
特に種畜場関係者の熱心な研究態度にはひとしお深い感銘を受けました。 次に、岩瀬郡に参り、キュウリ栽培を見ました。ここは昨年の米生産調整で転換したところですが、すでに野菜生産出荷安定法に基づく指定産地に指定されており、全国にも名を知られるようになっているということでありました。
これは一九〇五年から一九六五年の森町という、県の種畜場がございますが、ここの数値で、新潟地方気象台の区内観測所の原簿からとった数値であります。また、調整基準では、日照時間は新潟市のものをとって七十九・三時間。ここは四囲は山また山の谷間の部落でございまして、実際の日照時間はもっと少ないかもしれませんが、観測はこのようにできておるわけでございます。この中の積雪期間は九十二日で〇・五級地。
なお畜産試験場、種畜場等がもっと現地で充実いたしまして、十分これは鹿児島に次いでの主産地となるように先輩県の鹿児島県の御応援もいただかなければならぬ、あるいは中国地方の種畜場の御応援もいただかなければならぬということで、中国、鹿児島等の技術者の御指導をお願いする次第であります。
そのときに、これ、新聞でなく週刊誌だったと思いますが、見た中に、何でも、研究だからそんなやかましく言うことはないじゃないか、競馬だって、馬をうんと走らせるために、何ですか、種畜場で改良して、いい種族を保存するために改良に改良を重ねてスピードを出すためにやっている。それと同じ。
○相沢分科員 いま局長から御返答いただいたわけでございますが、ぜひ大臣も、天北原野や根釧原野等を歩かれまして、その地に種畜場の施設の設置が必要だという必要性を早くお感じになって、できるだけ促進していただきたいということを要望しておきます。
ところが、今度の案を見ますと、そういう国会の意思というものがどこかにいってしまって、そうして過去に議論された中の統計と民有林だけ入れて、これはあとでも触れますが、高知の種畜場をやめて、新たに熱帯農業研究センターを入れる、こういうかっこうで地方農林局というものを出してきているという、こういう過去の経過と、それから統計あるいは研究機関というものの独立性というものを考えますと、どうも地方農林局の中に統計事務
明治八年内務省の勧農局牧場といたしまして開設をいたしまして、明治十三年に下総種畜場となり、獣医学校等を設立したという記録が残っております。十四年には農商務省の所管となりましたが、越えて明治十八年から宮内省所管の下総種畜場ということになり、二十一年に下総御料牧場と改称いたしました。そのときが三千四百八十八ヘクタールでございます。
それからまた甲人夫については、屋外労働者の賃金であって、蚕業試験場、農業試験場、林業試験場、種畜場等に働く臨時人夫の方の賃金をさしておるのだ、こういうお話であります。私も自分の県の財政課のほうへ問い合わせてみましたが、どうも昨年の単価では、昨年は少し無理であったようであります。
近年になってまた入ってまいりまして、これが牧草、飼料作物として利用できないかということが一つの課題になりまして、農林省でも長野の種畜場におきまして栽培試験並びに系統選抜の仕事を数年前からやっております。そのほか、地域の農事試験場及び畜産試験場においても栽培並びに利用の研究を試験をいたしておるのでございます。また、民間におきましても、コンフリーの栽培利用等についての試験をしておるところがございます。
そのために、昨年私どものほうで指導をいたしまして、社団法人家畜改良事業団がいわゆる精液銀行の機能を果たすことになっておりますので、これらの機能と種畜場ないし牧場とをつなぎまして、一般への精液供給の円滑をはかりたいというふうに考えておる次第でございます。